2009年9月1日午前10時55分
あの日から今日で半年が過ぎました。
私の最愛のラブが亡くなった日。。。。
15歳と1ヶ月と19日の犬生でした。
ラブはずっと家族と一緒に仕事場に来て
ずっとずっと家族と一緒に暮らしてました。
ラブは家族の誰かが長期の旅行に行ったり、
自分の前から姿を消したら
尻尾が上がらなくなったり、お尻の毛がハゲたり・・・
家族と一緒にいられないことには
犬一倍寂しがり、精神的に辛いと感じる子でした。
13歳の2月、
年をとったことと、足の不具合が見つかって
仕事場の急な階段を降りられなくなった時
当時28キロ以上あったラブを
自宅に置いてくるという選択肢は
私にはありませんでした。
それはラブに死ねと言ってることと同じだからです。
実は、私はその時に初めて
大人になってからのラブの体を抱っこしました。
今でもその重さを思い出します。
この重さを抱いて階段を下りるなんて
正直、無理だと思いました。
でも、転げ落ちても抱いて降りると決心してました。
仕事場の環境は過酷だったし、
我が家の生活に段差や階段は沢山あって・・・
それでもラブを今までと変わらない生活をさせることは
とても大変でしたけど・・・・・
その後、突発性前庭障害になって
後遺症でまっすぐ歩けなくなったり・・・
現実は常に過酷でしたが、
ラブも家族と一緒にいたいから協力したし
私も家族も頑張りました。
最初の1年は
抱っこを補助するこういう物を利用してました。
(床も滑らないようにカーペットを敷いてます。)
でも、お腹に腫瘍が出来て
これを使うと腫瘍に触る為、
後半の2年は私が素手で抱いて移動させました。
こんな感じで抱いて階段の上がり降りしてました。
ちなみに頻度は最低4往復以上。
ラブのトイレが3階にあったので
ラブのお腹の具合が悪い時は回数が増えました。(^^ゞ
(この時、ラブの体重は25キロくらい。)
足が弱って来て自力で歩行が困難になった時、
写真の介助ハーネスを自分で作って
私の腕力でラブの体を持ち上げるようにして散歩しました。
歩けなくなることが一番怖かった。
獣医さんから
歩けなくなったらカウントダウンが始まると
そう言われていたからです。
途中で立てなくなったことも多々あって、
そういう時は私が抱いて帰りました。
遠くの公園まで歩けなくなったので
介護カートに乗せて、たまには公園にも行きました。
普段の生活が厳しくなった時も
ずっと一緒でした。
自作の介護ベストです。
立てない時もこれで自分で排せつはするように
力いっぱい支え続けました。
駐車場まで歩くのが困難になった時は
大型荷物用カートに乗って毎日元気に出勤してました。
そして迎えた15歳。
この15歳というのが私がラブにしていたお願いだったんです。
だからラブも一生懸命、私の為に生きてくれました。
ラブも念のいったヤツで
後から文句言われないように
私と一緒に暮らし始めてから15年経ってから
虹の橋へと旅立ちました。
可愛かったラブ
賢かったラブ。
私にとって最高のパートナーでした。
もう半年も経ったんだな・・・・
そんな時間が経ったことが信じられない気持ちです。
体は亡くなっても、いつも私の側にいると感じています。
だけど、姿が見られないのは寂しいです。
ラブよ、向こうの世界でも
幸せているんだよ。
そして、いつかまた巡り合おう!
その日が来ること楽しみにしているから。
今でも突然の訃報にビックリしたことが昨日の事ののようです
そしてまことに不思議ですが
ラブちゃんが使っていた抱っこ介助ベルト。。。
うちのアシュが使わせて頂いてます
夜寝るときに2階に上がるときに使ってるんですが
とても楽です
ラブちゃんを思いながら使わせて頂いてるよ
ありがとーーー!
いつもいつも一緒だったのね~~
そうか~
寂しがり屋さんだったのね。
アシュと暮らしながら時々ラブちゃんとおちゃちゃさんのブログの記事を参考にさせていただいてるんです
今でも。
いろいろ勉強になるんです。だからラブちゃんに感謝感謝ですよ
巡り合う日が楽しみですね
さちっすさんへ
sayakaさんからお聞きしていました。(^^)
ずっとラブを応援してくださった、さちっすさんともアシュちゃんが使ってくださるのは本当に嬉しいです。
このブログはラブと共に闘った記録ですが、それを参考にしていただけて、ラブも喜んでいることと思います。
アシュちゃん、頑張って元気で長生きしてね。(^^)